兵庫県西宮市の女性の感謝の声です。
遠くよりの御参拝、ありがとうございます。
おそらくボランティアの方でしょう。
被災地の現状を見るに付け、日々当たり前の暮らしだと思っていたものが、実はとても恵まれた暮らしだと気付いたのだと思います。
そしてまた、ボランティアを通じて沢山の出会いもあったことでしょう。少しでも被災者を助けたいとの志を同じくする方々の集まりですから、皆人が自然と親しくなり、その出会いが大きな輪となり更なる支援を生み出していることと思います。
そしてその先に、「気付き」が待っています。
一時期「セレンディピティ」という言葉が流行りましたが、日本語では「小さな気付き」と訳されます。
そのセレンディピティを得ることにより、日常を有意義に暮らすことが出来るとさかんに言われましたが、私はこれは本末が逆なのではないかと思います。
あたりまえのことですが、何もないところからは何も生まれません。無から有は発生しないのです。
小さな気付きも、それを生み出す土台が必要です。
つまり何か行動を起こし有意義な生活を送ったその先にしか、「気付き」は待ってはいないわけです。
もちろん行動しても「気付き」が得られるとは限りません。何も得るものがないかもしれません。
ギブアンドテイクに慣れた人には、それはあまりにも効率の悪いことのように思われることでしょう。
しかし、自分が学ぶ姿勢を持っていれば、どんなことからも教訓を読み解くことが可能です。
自分の行動を有意義にするためには、常に自問自答する姿勢が必須だということです。
この方のように多くの「気付き」を得られる人生は、とても幸せな人生でしょうね。
神様に感謝、感謝。