成熟した信仰とは、言い換えれば「大人の信仰」とも言えます。
これは、一言で言えば「自分自身に責任を持つ」信仰です。
わかりやすく、一つ本当にあった話を紹介致します。
うろ覚えで細かいところは不明瞭ですが、大体このようなお話でした。
ある人は東日本大震災の被害を受けた沿岸地方でボランティアをしていました。
ボランティアの一環で建物を建てようということになり、その作業をしていたところ嵐で建築途中の建物が壊れてしまいました。その人はとても悲しみました。神も仏もないと思ったそうです。
しかし、その人はすぐに「神様が、この建物では小さすぎると言っているのだ」と思い直し、今度は一回り大きい建物を無事建てることができました。
このお話で重要なのは、神も仏もないと思った後に、すぐ自分自身の責任で次の行動を起こしていることです。
信仰が未熟な場合は神様に責任を転嫁し、神様に頼るばかり、呪うばかりで建物を建てることが出来なかったでしょう。
また、そもそも信仰自体を持っていない場合、最初の建物が壊れてしまった段階で心が折れ、建物を完成させることが出来なかったかもしれませんし、少なくとも一回り大きな建物を建てようという気は起きなかったことでしょう。
神様は、私達の成長を心より願っております。
お願いした事が叶わないときもあるかもしれません。
祈りとは「叶う」ものではなく「通じる」ものです。
心を込めた祈りは、たとえ叶わなくとも必ず神様に通じています。
あなたの成長に必要な事と受け止め、さらに一回りも二回りも成長出来るよう努力したいものです。