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感謝の声

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『教訓で読み解く遠野物語』をkindleで出版しました

私事ですがこの度kindleにて『教訓で読み解く遠野物語』を電子出版致しました。
コチラで購入できます。kindleをお持ちでなくても、スマートフォンにkindleアプリを入れれば読むことが出来ますので、是非一度手に取ってみて下さい。ちなみに「きんどるどうでしょう」さまにもとりあげられ、インタビューも掲載されています。
下に一話をまるまる掲載します。書籍の方にはフリガナが全部ふってあり、全編このような感じでさくさく読めますのでお子様にもどうぞオススメです。


和を保つことの重要性【二話】
 二 遠野の町は南北の川の落合にあり。以前は七七十里とて、七つの渓谷各七十里の奥より売買の貨物を聚め、その市の日は馬千匹、人千人の賑はしさなりき。四方の山々の中に最も秀でたるを早池峰といふ。北の方附馬牛の奥にあり。東の方には六角牛山立てり。石神といふ山は附馬牛と達曾部との間にありて、その高さ前の二つよりも劣れり。
 大昔に女神あり、三人の娘を伴ひてこの高原に来たり、今の来内村の伊豆権現の社ある処に宿りし夜、今夜よき夢を見たらん娘によき山を与ふべしと母の神の語りて寝たりしに、夜深く天より霊華降りて姉の姫の胸の上に止まりしを、末の姫目覚めてひそかにこれを取り、わが胸の上に載せたりしかば、つひに最も美しき早池峰の山を得、姉たちは六角牛と石神とを得たり。若き三人の女神各三つの山に住し、今もこれを領したまふゆゑに、遠野の女どもはその妬みを畏れて今もこの山には遊ばずといへり。



 「和をもって以て貴しとなす」という言葉があります。古来より日本では、負けることより争いを起こすことの方が悪いこととされてきました。だからこそ「負けるが勝ち」ということわざも出来たのです。つまり正義を主張し勝利を収めることよりも、争いをなくし和を保つ方が優先されたのです。
 このお話では、一番下の娘がずるをしてしまいます。もちろん二人の姉は、そのことを知っていたでしょう。だからこそ本文の最後に「遠野の女はその妬みを恐れてこの山には入らないのだ」という記述があるのだと思います。下の娘が悪いのは誰の目にも明白で、姉二人は母神にずるを訴えることも出来ました。しかしながらそうしませんでした。もしもずるを訴えた場合どうなっていたでしょうか。姉妹の仲は当然ながら悪くなり、ともすると母神の怒りをかい、三姉妹とも一つの山も貰えなかったかもしれません。それよりは、早池峰山よりは劣るけれども山をもらえ、姉妹の仲も保てる方が良いですよね。「負けるが勝ち」というのはこのことを言うのです。
 私が子供の頃は兄弟と喧嘩をすると、「負けるが勝ちだよ」と祖母に言われたものです。日本ならではの和を保つためのこの知恵を、これからも大事にしていきたいものです。
# by kansyanokoe | 2013-04-08 13:28 | ひとりごと

出会いに感謝

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 遠野市上郷町の女性と、愛媛県津島町の女性の感謝の声です。

 素敵な出会いやSMAPと出会えたことはもちろんのこと、就職が決まったことも、すべて「出会い」というものの形の一つです。「縁結び」という言葉が男女の恋愛だけを指すものではなく、全ての目に見えない働きを表すように、「出会い」という言葉にも、人と人との出会いという以外にも、物事との関わり合いができることも表します。

 人との出会いといったときには「一期一会」などといって、今のこの出会いが唯一無二のものとして尊ぶということがありますが、この絵馬に書かれたような「就職」といった人以外の事柄に対しては、あまりこのようなことは意識されないのではないでしょうか。

 人との出会い以外の広い意味での「出会い」に対しても、「一期一会」の精神で接したいものですね。それこそが、その出会いを価値あるものにしてくれると思います。

神様に感謝、感謝。
# by kansyanokoe | 2013-02-13 15:19 | 感謝の声

勉強が出来ることに感謝

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遠野市青笹町の女の子の感謝の声です。

前回に引き続き、子供の掛けた絵馬を紹介します。

勉強が出来るということは、勉強が「義務」となっている今なればこそ当たり前のことですが、過去に目を向ければ日本においても少し前までは勉強がしたくても出来ない人がいっぱいいましたし、世界に目を向ければ今でもなお満足な教育を受けれない国もあります。福沢諭吉の『学問のススメ』を持ち出すまでもなく、私達人間社会にとって、勉強というのはよりよい人生を送るための必須事項だと言えるでしょう。
あたりまえすぎてなかなか気づけないことですが、この女の子は八幡様にどんなありがとうを伝えるか考えるうちに、その当たり前のことに気づく事が出来たのですね。この絵馬から、とても楽しそうに勉強している姿が目に浮かぶようです。
学力の低下が叫ばれている昨今ですが、この女の子のように、勉強の大切さ・楽しさを味わうことの出来るような教育環境を整えてあげたいものですね。

八幡様である応神天皇の御代に、「千字文」や「論語」が伝わったと言われておりますことから、八幡様は学問の神様とも言われております。どうか八幡様の御加護の元、さらに勉学に励んで立派に成長しますよう御祈念申し上げます。

神様に感謝、感謝。
# by kansyanokoe | 2013-02-05 16:36 | 感謝の声

ご祈祷でお世話になったことに感謝

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本年最初の感謝の声は、北上市下鬼柳のお子様の絵馬を取り上げてみたいと思います。

始めてこの絵馬を目にしたときの衝撃は忘れられません。これほどしっかりした子供に育てるにはどのような躾をすればいいのでしょうか、私が教えて欲しいくらいです。

ご祈祷に対する御礼を書くこと自体がすごいことですが、注目すべきは妹のため、つまり自分以外の事に対して御礼の言葉を述べていることです。よほどしっかり思いやりの心が育っているのでしょう。

大人ですら自分のことばかりに目がいきがちなものですが、子供のうちからこのような利他の心を持つことはとても素晴らしいことですね。この子の将来が楽しみです。

そして、周囲の人に対する思いやりの心を芽生えさせ、このような行動にうつすきっかけを作ってくださった神様にも感謝の心を忘れたくないものですね。

神様に感謝、感謝。
# by kansyanokoe | 2013-01-30 14:29 | 感謝の声

成熟した信仰とは

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成熟した信仰とは、言い換えれば「大人の信仰」とも言えます。
これは、一言で言えば「自分自身に責任を持つ」信仰です。
わかりやすく、一つ本当にあった話を紹介致します。
うろ覚えで細かいところは不明瞭ですが、大体このようなお話でした。

ある人は東日本大震災の被害を受けた沿岸地方でボランティアをしていました。
ボランティアの一環で建物を建てようということになり、その作業をしていたところ嵐で建築途中の建物が壊れてしまいました。その人はとても悲しみました。神も仏もないと思ったそうです。
しかし、その人はすぐに「神様が、この建物では小さすぎると言っているのだ」と思い直し、今度は一回り大きい建物を無事建てることができました。

このお話で重要なのは、神も仏もないと思った後に、すぐ自分自身の責任で次の行動を起こしていることです。
信仰が未熟な場合は神様に責任を転嫁し、神様に頼るばかり、呪うばかりで建物を建てることが出来なかったでしょう。
また、そもそも信仰自体を持っていない場合、最初の建物が壊れてしまった段階で心が折れ、建物を完成させることが出来なかったかもしれませんし、少なくとも一回り大きな建物を建てようという気は起きなかったことでしょう。

神様は、私達の成長を心より願っております。
お願いした事が叶わないときもあるかもしれません。
祈りとは「叶う」ものではなく「通じる」ものです。
心を込めた祈りは、たとえ叶わなくとも必ず神様に通じています。
あなたの成長に必要な事と受け止め、さらに一回りも二回りも成長出来るよう努力したいものです。
# by kansyanokoe | 2012-12-09 15:57 | ひとりごと