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感謝の声

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家に神様をお祀りできることに感謝

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宮古市西が丘の女性の方の感謝の声です。
なんとも一ヶ月半ぶりの更新です。ご紹介したい絵馬はたくさんあるのですが、何分筆無精なもので・・・気長におつきあい頂ければと思います。

さてこの方は、家に大国様と恵比寿様をお祀りできた事を喜び、そして家族の病気が良くなっている事を感謝しています。
おそらく神棚に御札を祀るか、若しくは庭に祠を建ててそこに神様をお遷ししたものと思いますが、日本人にとって古来より神様は、かくも身近な存在でした。

ところが最近は、神棚を祀らない家庭が増えています。
理由は様々でしょう。若者の宗教離れが叫ばれる事もあれば、家の作りの変化、ライフスタイルの変化が指摘される事もあります。
しかし私は何よりも、神様が「特別な存在」になってしまった事が一つの原因ではないかと思うのです。
現代において、私たちは身近なものに神様を感じずに、神社や今流行のパワースポットでしか人知を超えた力を感じる事が出来なくなってしまっています。
本来、神様はその辺の道端の草一本にも宿っています。それを感じる事が出来なくなっては、生活から神様が遠ざかっていくのも致し方ないと言わざるを得ません。

多くのご家庭で神棚を祀っていただくには、何よりもまず神様に親しんで頂き身近に感じて頂く事が必要なのではないかと思う今日この頃です。
この方も、神様と生活を共にすることによって、自分を取り巻く何気ない数多くの感謝に気付く事と思います。

神様に感謝、感謝。
# by kansyanokoe | 2012-06-02 15:18 | 感謝の声

八幡様の例祭日について

八幡様の例祭日について_a0180968_1018885.jpg


八幡様の例祭日は、全国的に9月15日とされています。
当社においても創建以来八百年以上もの間変わらずに、例祭を9月15日に斎行してきました。

ところがハッピーマンデー法施行に伴い9月15日が祝日(敬老の日)ではなくなったため、それまで遠野市と合同で開催してきた例祭(遠野まつり)が、八幡宮が境内で9月15日に斎行する「例祭」と、遠野市が市街地で9月第三土日に催行する「遠野まつり」に分離してしまいました。

この事については、各方面より例祭日を9月第三日曜日に移動して遠野市と合同で開催するようアドバイスを受けましたが、八幡宮としては総代会等で、例祭は宗教行事であり伝統を変えることなく八幡様の一年で最も重要なご縁日を御祝い申し上げるべきとの意見の一致を受けて、伝統に則り毎年9月15日に斎行してきました。

例祭の重要性というものを説明するのに最も解りやすい例を挙げれば、東日本大震災の慰霊祭を3月11日に開催するということでしょう。これを、「人が集まりやすいから」という理由で祝祭日に移動してしまっては、その本来の意義が薄れてしまいます。八幡宮としては、今後とも「八幡様を祀るに相応しい」9月15日に例祭を執り行っていきたいと思っております。

しかしながら本年は例年と異なり、9月15日が平日ではなく土曜日に当たっています。ということはこれまでの日程の通り開催されますと、9月15日は市主催の遠野まつりが市街地で開催され、それと同時に八幡宮境内で例祭が開催されることになってしまいます。同じ日に別々の場所で同じようなお祭りを開催するわけです。せっかくの機会ですから、私は15日に境内で合同開催できれば良いなと思っており、八幡宮としても遠野市にその旨文書にて送付しております。

遠野市、郷土芸能団体、そして八幡宮が一体となった「お祭り」を、本年は開催できればこの上ない幸せに存じます。
# by kansyanokoe | 2012-04-14 10:16 | ひとりごと

嘘をつかない事を誓い、合格に感謝

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遠野市土淵町の男性の感謝の声です。

まずもって、合格おめでとうございます。
受験シーズンも終わり、新年度を迎える今、八幡宮には数多くの合格を感謝する絵馬が掛けられています。
その中でも特に目をひいたのがこちらの絵馬。

「うそをつかないようにしていきたい」との決意は、おそらく過去に嘘をつき、後悔した事があるからこそ持ち得る決意だと思います。

神道では「正直」を重んじます。

手元にある『神道百言』をざっと見ただけでも、これらの言葉を見つける事が出来ます。
・「正直の頭に神宿る」
・「凡そ神は正直を以て先とし、正直は清浄を以て本となす」
・「神は正直にして明らかなり、故に神明といふ」
・「それ神道は正直を以て体とし、愛敬を以て心とし、無事を以て行とす」
・「凡夫も神明の域に到る捷径、正直の二字にある也」

「正直」の語意については色々な解釈がありますが、私は「神様のお示し下さった事柄を守り、清い心・清い行いを続けていく事」だと思っています。
「正直」とは事実をありのままに言うことではありません。正しき、直き行いが「正直」なのだと思います。
であれば、「嘘をつかない」というのは、誠に「正直」な行いであろうと思います。

そして、その道をお示し下さった、気付かせて下さったご縁を神様の御力の賜と感謝したいものです。

神様に感謝、感謝。
# by kansyanokoe | 2012-04-01 13:38 | 感謝の声

多くの人との出会い、そして学びに感謝

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大船渡市の女性の感謝の声です。

人との出会いは人生でもっとも大きな財産だと言われます。
「人」という漢字の成り立ちを説明するまでもなく、人は支え、支えられてこの世に存在しています。
「人間」という言葉もそうです。人は人単独では存在し得ません。人と人の間(関係性)にこそ人としての存在があるのです。
多くの人との「ご縁」を持つ事は、とりもなおさず自分の「人」としての器を大きくする事に繋がります。
そしてもちろん、その器にどんなものを詰めるのか、それが重要な事は言うまでもありません。

この方は、ご縁の大切さに気付き、そしてそこから多くのものを勉強したようです。
いうなれば、人と人の関係性により自分の器を大きくし、そしてその器に多くの有意義なものを詰める事ができたということです。

そしてまた人は「霊止(ヒト)」とも書き、神様から頂いた「霊」が「とどまった」状態を指すという説もあります。
大神様の御神徳は広大無辺であり、生きとし生けるもののすべてにおいて、その御力の及ばないものはありません。それを自覚する事は、より一層人とのご縁を大事にすることにつながり、より有意義な学びの基になることと思います。

神様に感謝、感謝。
# by kansyanokoe | 2012-03-26 12:02 | 感謝の声

大震災に負けなかった事を感謝

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遠野市宮守町鱒沢のご夫婦の感謝の声です。

この一年、大変なご苦労があったものと拝察いたします。
この場を借りて、今一度心から御見舞申し上げ、一日も早く平穏な毎日を送る事ができますよう、御祈念を申し上げます。

昨日はあの大震災より一年目の節目の日でした。多くの方が、犠牲者の御魂の安らかであることを願い、そして復興へ思いを馳せたものと思います。
その一環として、日本全国で、慰霊祭が執り行われました。
神道界においても全国各地の神社で復興祈願祭が、宮城県石巻市にて神社本庁主催の慰霊祭が、そして岩手県釜石市にて神道青年全国協議会主催の慰霊祭がそれぞれ執り行われました。

しかしながら、語弊を恐れずに言えば、慰霊祭を行う事それ自体にはあまり意義がありません。
一番の慰霊は、お亡くなりになった御魂が、安心してお鎮まりになることです。
つまり、私達が力強く生き生きと、幸せに心安らかに生活する事こそ、見守る存在としての御魂が私達に最も望んでいる事ではないかと思うのです。
それを伝える場として、慰霊祭というのものがあるのではないでしょうか。

この絵馬を掛けたご夫婦のように、「私達はこのように頑張っています」というメッセージを、是非犠牲者の御魂にも届けて頂きたいものと思います。
それが、一番の慰霊につながるものと私は信じます。

神様に感謝、感謝。
# by kansyanokoe | 2012-03-12 15:16 | 感謝の声