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感謝の声

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母に感謝

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ずいぶん久々の更新になってしまい申し訳ありません・・・。定期的に更新することはなかなか難しいですね。毎日ブログを更新されている方を尊敬します。
今後も大神様への感謝の言葉を紹介していきたいと思いますので、気長におつきあい下さい。

さて、今回は花巻市西宮野目の方の感謝の声です。

親と子というのはなかなか分かり合えないものということは例を引くまでもなく自明の理ですが、やはり人間というものは自分を理解して欲しいという欲求を本質的にもっていますし、まして血を分けた肉親であればなおのこと理解していて当然という気持ちを持ってしまいがちです。

親の心子知らずと言いますが、逆に人は、親になった瞬間に子供の心を理解できなくなるとも言えるでしょう。
お互いを理解し合えることは、とても難しいことです。

そうしたなか、このような絵馬を見ると、分かり合えないまでも相手の感情を推し量って幸せに生きることは可能だと再確認させられます。私たちは人間であり、人間である以上世界広しといえども一人として感情を持っていない人はいませんから、もちろん気にくわないことがあればけんかもします。
しかしながら、「母から生まれてきて良かった」という言葉は、そのけんかさえも自らを成長させるための「肯定」だと言っているようです。

そうした感情は、声に出したり文字に書かなければなかなか伝わるものではありません。ともすると自分ですら、文字にするまではその感情に気付いていないのかも知れません。
そしてこの感謝の声は、間違いなく神様の前に立った清々しい素直な気持ちの中で、自然と立ち上がった感情だと思うのです。

神様に感謝、感謝。
# by kansyanokoe | 2012-10-23 11:54 | 感謝の声

ロンドン五輪馬術競技出場選手・馬の健闘を祈る

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築館の男性の方の祈願の絵馬です。
今回は感謝の言葉ではありませんが、タイムリーな絵馬なので紹介させて頂きました。

この方は、馬術競技の方の関係者でしょうか。おそらく選手や馬の日頃の鍛錬を身近なところで見守ってきたことだと思います。この絵馬からは、その健闘に期待する思いは並々ならぬものが感じられます。

なぜ馬術競技に関する絵馬が掛けられたのかと少し考えてみましたが、もちろん八幡様は古来より武神として崇められ、勝負事にはその御神徳を遺憾なく発揮されることを期待してのものだと思いますが、それともう一つ、遠野は昔から馬産地で有名だということもその理由の一つなのではないかと思います。
当社の境内地には馬魂碑があり、昔から丁重に馬の魂を祀っていますし、遠野には全国的にも有名な馬と人とが一つ屋根の下で暮らす「曲がり屋」があります。
このような馬を大事にする文化が根強い遠野という地の氏神様にその健闘を祈りたいと思うことは、とても自然なことのように感じられました。

この願いが大神様に通じ好成績をのこして、感謝の絵馬を掛けて下されば、とても嬉しいことと存じます。

神様に感謝、感謝。
# by kansyanokoe | 2012-07-22 14:21 | 感謝の声

ご祈祷の意義

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とあるサイトで「厄払いを勧められたときの完璧な反論法」という記事を目にしました。

その方がが言うには、
『「厄払いしないで悪いことが起こったら、あなたはきっと『厄払いしなかったからだ』と言うでしょう。
厄払いして悪いことが起こったら、あなたはきっと『厄払いしたからこの程度で済んだんだ』と言うでしょう。
厄払いしないで無事過ごせたら、あなたはきっと『運が良かっただけだ』と言うでしょう。
厄払いして無事過ごせたら、あなたはきっと『厄払いしたおかげだ』と言うでしょう。
結局、来年がどんな年になっても、厄払いしたかしなかったかとは、全く無関係だということを、あなた自身が証明することになるということは、すでにわかっています。
なので、厄払いなんてものにムダな金をかける必要はないですよ」』
として、厄祓いが全く無意味であると結論づけています。

こういった考え方はとても合理的であると思いますし、現代ではこのような合理的な考え方がもてはやされていることも理解出来ます。しかし私はなお、以下の二つの点により、厄祓いに限らずご祈祷全般には無視できない大きな意義があると思います。

まず一つ目は、ご祈祷を受けることにより、生活が充実したものになるということです。
どういう事かというと、ご祈祷を受けることにより、不安を解消することが出来るわけです。つまり、「厄年でなにか悪いことが起きたらどうしよう」と不安に生活するよりも、「厄祓いをしたんだから大丈夫。神様が見守って下さる。」と思い生活するのでは、後者の方が自分本来の、もしくは自分の持っている以上のパフォーマンスを発揮できるのではないでしょうか。

もう一つは、そもそもご祈祷は「感謝」を基礎にしているということです。
皆さんはご祈祷というと「お願い事」をするものだと思っている方が大半だと思いますが、本来ご祈祷は「感謝」が先立っているものなのです。つまり、厄払いでいえば「厄年まで無事生きられたことを感謝する」ことが第一で、その次に厄年を無事乗り越えられますようにと祈るのです。
願い事が叶えられなければ無くなってしまうような、そんな神様との取引のような信仰は、真の信仰ではありません。本当の信仰とは、今我が身在ることを感謝すること、それにつきます。恨み言ばかりの人生は有意義なものにはなり得ません。
自分に足りないものを数えるのではなく、自分が今持っているものを数える、そのきっかけになること。あれもないこれもないと嘆いたり不安になったりするのではなく、あれも持っているこれも持っていると満足し安心すること。そんなこともご祈祷の意義の一つではないかと思います。
# by kansyanokoe | 2012-06-26 13:27 | ひとりごと

出会いに感謝、支援に感謝

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福岡市の男性と、遠野市青笹町の女性の感謝の声です。

あの大震災から一年以上の時間が経過しました。
過ぎ去った時間に比例して、新聞やニュースが大震災を取り上げる時間が減っています。
まだまだ被災者あるいは東北全体が大震災の被害から立ち直るには様々な支援が必要です。
そのお手伝いをするボランティアの方々には、本当に頭が下がります。

「良い行い」とは実は利己的なものです。自分の幸福を追求するなら、他人にも親切にしなければなりません。今代表戦が盛り上がっているサッカーにたとえれば、多くのパスをもらうには、多くのパスを出さなければならない。なぜなら、ボールをずっと持ち続ける人にはだれもパスを出したがらないでしょう。逆説的ですが、自分がして欲しい事を他人に対してすることが、それをしてもらう一番良い方法なのです。
これを先人はことわざで、「情けは人のためならず」と言ってきました。

ボランティアもまさにその典型です。
上記の論理でいけば、被災者に多くの幸せを与えたボランティアの方々には、多くの幸せが返ってくることでしょう。
その支援に対する感謝が、このように間接的にでも支援者のもとに届けば、双方共にとても幸福な事だと思います。

神様に感謝、感謝。
# by kansyanokoe | 2012-06-20 15:15 | 感謝の声

精神を浄化するということ

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矢巾町の男性の感謝の声です。
今回は感謝と言うよりも誓いと言った方がしっくりきますので、「ひとりごと」のカテゴリで投稿したいと思います。

この方は精神を浄化する事を神様にお誓い申し上げました。
さて、ここでいう「浄化」というのは、どういった状態を指すのでしょうか。

世の中では人の本性について、性善説と性悪説が唱えられています。
人間の本性が「善」であるか「悪」であるか、古来より議論されてきました。
曰く、「人間の本性は悪であるから、法律等で制限する必要がある」、
曰く、「元々人間の本性は善であるのに、外的要因によって悪になるのだ」と。

私は、人間の本性は生まれながらに善だと思っており、性善説を支持しています。
つまり、「悪」はすべて、周りの環境により後天的に発生したものだという事です。
よって、ここでいう「浄化」とは、心身にこびりついた「悪」を引きはがす事だと、私は理解しました。

問題はどうやって「浄化」を成し遂げるかという事です。
そのための方法は色々考えられますが、幸いにも今月は全国の神社に於いて「大祓」が行われます。
ぜひ皆様におかれましては、お近くの神社に御参拝頂き、茅の輪をくぐり人形に罪穢れを託して、心身共に清々しく向う半年をお迎え下されば幸甚に存じます。
# by kansyanokoe | 2012-06-16 15:17 | ひとりごと