ANA国内線【PR】
感謝の声
tonokansya.exblog.jp
トップ
八幡様の例祭日について


八幡様の例祭日は、全国的に9月15日とされています。
当社においても創建以来八百年以上もの間変わらずに、例祭を9月15日に斎行してきました。

ところがハッピーマンデー法施行に伴い9月15日が祝日(敬老の日)ではなくなったため、それまで遠野市と合同で開催してきた例祭(遠野まつり)が、八幡宮が境内で9月15日に斎行する「例祭」と、遠野市が市街地で9月第三土日に催行する「遠野まつり」に分離してしまいました。

この事については、各方面より例祭日を9月第三日曜日に移動して遠野市と合同で開催するようアドバイスを受けましたが、八幡宮としては総代会等で、例祭は宗教行事であり伝統を変えることなく八幡様の一年で最も重要なご縁日を御祝い申し上げるべきとの意見の一致を受けて、伝統に則り毎年9月15日に斎行してきました。

例祭の重要性というものを説明するのに最も解りやすい例を挙げれば、東日本大震災の慰霊祭を3月11日に開催するということでしょう。これを、「人が集まりやすいから」という理由で祝祭日に移動してしまっては、その本来の意義が薄れてしまいます。八幡宮としては、今後とも「八幡様を祀るに相応しい」9月15日に例祭を執り行っていきたいと思っております。

しかしながら本年は例年と異なり、9月15日が平日ではなく土曜日に当たっています。ということはこれまでの日程の通り開催されますと、9月15日は市主催の遠野まつりが市街地で開催され、それと同時に八幡宮境内で例祭が開催されることになってしまいます。同じ日に別々の場所で同じようなお祭りを開催するわけです。せっかくの機会ですから、私は15日に境内で合同開催できれば良いなと思っており、八幡宮としても遠野市にその旨文書にて送付しております。

遠野市、郷土芸能団体、そして八幡宮が一体となった「お祭り」を、本年は開催できればこの上ない幸せに存じます。
# by kansyanokoe | 2012-04-14 10:16 | ひとりごと
嘘をつかない事を誓い、合格に感謝

遠野市土淵町の男性の感謝の声です。

まずもって、合格おめでとうございます。
受験シーズンも終わり、新年度を迎える今、八幡宮には数多くの合格を感謝する絵馬が掛けられています。
その中でも特に目をひいたのがこちらの絵馬。

「うそをつかないようにしていきたい」との決意は、おそらく過去に嘘をつき、後悔した事があるからこそ持ち得る決意だと思います。

神道では「正直」を重んじます。

手元にある『神道百言』をざっと見ただけでも、これらの言葉を見つける事が出来ます。
・「正直の頭に神宿る」
・「凡そ神は正直を以て先とし、正直は清浄を以て本となす」
・「神は正直にして明らかなり、故に神明といふ」
・「それ神道は正直を以て体とし、愛敬を以て心とし、無事を以て行とす」
・「凡夫も神明の域に到る捷径、正直の二字にある也」

「正直」の語意については色々な解釈がありますが、私は「神様のお示し下さった事柄を守り、清い心・清い行いを続けていく事」だと思っています。
「正直」とは事実をありのままに言うことではありません。正しき、直き行いが「正直」なのだと思います。
であれば、「嘘をつかない」というのは、誠に「正直」な行いであろうと思います。

そして、その道をお示し下さった、気付かせて下さったご縁を神様の御力の賜と感謝したいものです。

神様に感謝、感謝。
# by kansyanokoe | 2012-04-01 13:38 | 感謝の声
多くの人との出会い、そして学びに感謝

大船渡市の女性の感謝の声です。

人との出会いは人生でもっとも大きな財産だと言われます。
「人」という漢字の成り立ちを説明するまでもなく、人は支え、支えられてこの世に存在しています。
「人間」という言葉もそうです。人は人単独では存在し得ません。人と人の間(関係性)にこそ人としての存在があるのです。
多くの人との「ご縁」を持つ事は、とりもなおさず自分の「人」としての器を大きくする事に繋がります。
そしてもちろん、その器にどんなものを詰めるのか、それが重要な事は言うまでもありません。

この方は、ご縁の大切さに気付き、そしてそこから多くのものを勉強したようです。
いうなれば、人と人の関係性により自分の器を大きくし、そしてその器に多くの有意義なものを詰める事ができたということです。

そしてまた人は「霊止(ヒト)」とも書き、神様から頂いた「霊」が「とどまった」状態を指すという説もあります。
大神様の御神徳は広大無辺であり、生きとし生けるもののすべてにおいて、その御力の及ばないものはありません。それを自覚する事は、より一層人とのご縁を大事にすることにつながり、より有意義な学びの基になることと思います。

神様に感謝、感謝。
# by kansyanokoe | 2012-03-26 12:02 | 感謝の声
大震災に負けなかった事を感謝

遠野市宮守町鱒沢のご夫婦の感謝の声です。

この一年、大変なご苦労があったものと拝察いたします。
この場を借りて、今一度心から御見舞申し上げ、一日も早く平穏な毎日を送る事ができますよう、御祈念を申し上げます。

昨日はあの大震災より一年目の節目の日でした。多くの方が、犠牲者の御魂の安らかであることを願い、そして復興へ思いを馳せたものと思います。
その一環として、日本全国で、慰霊祭が執り行われました。
神道界においても全国各地の神社で復興祈願祭が、宮城県石巻市にて神社本庁主催の慰霊祭が、そして岩手県釜石市にて神道青年全国協議会主催の慰霊祭がそれぞれ執り行われました。

しかしながら、語弊を恐れずに言えば、慰霊祭を行う事それ自体にはあまり意義がありません。
一番の慰霊は、お亡くなりになった御魂が、安心してお鎮まりになることです。
つまり、私達が力強く生き生きと、幸せに心安らかに生活する事こそ、見守る存在としての御魂が私達に最も望んでいる事ではないかと思うのです。
それを伝える場として、慰霊祭というのものがあるのではないでしょうか。

この絵馬を掛けたご夫婦のように、「私達はこのように頑張っています」というメッセージを、是非犠牲者の御魂にも届けて頂きたいものと思います。
それが、一番の慰霊につながるものと私は信じます。

神様に感謝、感謝。
# by kansyanokoe | 2012-03-12 15:16 | 感謝の声
今日を迎えられる事に感謝


遠野市穀町の方の感謝の声です。

このシンプルな言葉に、どれほどの思いが込められているのでしょうか。
人は、無意識に未来を勘定に入れています。
その意識が改められるのは、おそらく自分の余生の短さを自覚し始めたときでしょう。

人は「今日」しか生きられません。

ある話に、どうしても禁煙できない人がどうやったら禁煙できるのかとアドバイスを求めたときに、ある人が「今日だけ絶対にたばこを吸わなければ禁煙できる」とアドバイスされ、今日一日なら我慢できると我慢に我慢をして、さあ夜中の十二時を回ったときにたばこを吸おうとしたら、それもまた「今日」であったという話がありますが、まさにこの事をあらわしていると言えるでしょう。

「今日」を、長い人生の中の普段と変わらない一日と考えるか、それとも一日しかない特別な日と考えるかはその人次第です。

この感謝の言葉を掛けた人と同様に、今日を迎えられたという「日常茶飯」の事を感謝出来る、豊かな心を持ちたいものです。

神様に感謝、感謝。
# by kansyanokoe | 2012-02-29 15:41 | 感謝の声
祝詞を奏上する事の意義


先日『死んだらおしまい、ではなかった』という、住職さんの書かれた本を読みました。
内容は、死語も霊魂が存在する事を、なるべく科学的、統計学的に説明したもので、とても言わんとするところが分かりやすく、その結論についても納得のいくものでした。

それとは別に、著書の中で「なるほど」というか改めて気付かされたことがあります。
お経について、「死んだ人を供養するというお経は無い。お経とは本来生きている人の為の物。お経を上げることによって、生前特に信心深くなかった故人がありがたく思う事はない。むしろ、お経を聴くことによって参列者が故人を偲ぶ気持ちを持つ事が、その気持ちが供養になるのだ」と説明していました。

神主が神様に奏上する祝詞は、神様にお伝えする形をとっています。
ですからともすると神様と神主の関係性をのみ重視する事になりかねません。
神様は、参列者の心よりの祈りを望んでいます。
参列者が、「ありがたい」と思う気持ちを持って頂けるような、敬神の念を涵養するような、そういう祝詞を奏上する事が、神主に求められているのではないでしょうか。

それを「中執り持ち」という言葉で、先人は言い表したのだと思います。
# by kansyanokoe | 2012-02-17 16:23 | ひとりごと
孫ができたことに感謝


一か月以上更新できなくて申し訳ありません。
今後はなんとか一週間に一回の更新を守っていきたいと思います。

大船渡市赤崎町の男性の感謝の声です。
まずはお孫さんを授かったことをお祝い申し上げます。
孫は目に入れても痛くないといわれる通り、とてもかわいいものです。
この方が、孫の誕生を心待ちにしているさまが目に浮かぶようです。

さて、神様に奏上する言葉である祝詞の用語にも「子孫の八十続き五十橿八桑枝の如く(うみのこのやそつづきいかしやくはえのごとく)」という言葉があり、その言葉は「子孫の遠く続くかぎり、樹木が立派に茂り栄えるように」という意味です。つまり祝詞においても、一番の幸せは子孫が遠く広く続いていくことだと言えるのです。

今の日本の人口は1億3000万人ですが、六十年後には6000万人になるという試算もあるようです。
古事記においては、イザナギとイザナミと離別の場面で人口が増大していく理由が語られますが、現在の日本においては、イザナミの勢力のほうが強いようです。

国の発展は人が成し遂げるものです。
将来の国を背負う人材の誕生を、私も共に喜びたいと思います。

神様に感謝、感謝。
# by kansyanokoe | 2012-02-07 15:44 | 感謝の声
心の絆に感謝


皆様、遅ればせながら新年あけましておめでとうございます。
本年も八幡様に寄せられた感謝の言葉を紹介して参りたいと思いますので、よろしくお願いします。

さて昨年は東日本大震災や台風など、自然災害の多い一年でした。
多くの方が3月11日以前の記憶があまりないとおっしゃっているように、3.11以降は、とても密度の濃い時間を日本全体が共有した一年とも言えるでしょう。

おそらくこの絵馬を掛けた方も、その共有感をもつことができたことに自然と感謝の言葉が出たものと思います。
昨年の漢字に「絆」が選ばれたのも、それを端的に現しています。
それを本年も継続して、新たなる日本を築き上げていきましょう。

本年の干支は「壬辰」です。
奇しくもこの漢字に女偏を付ければ「妊娠」となります。
大震災を期に芽生えた日本人の「絆」が、ますます大きくふくらんでいきますよう、祈念申し上げます。

神様に感謝、感謝。
# by kansyanokoe | 2012-01-06 14:50 | 感謝の声
貯金できた事に感謝

盛岡市の男性の感謝の声です。

想像力を刺激される絵馬です。この方は何故貯金できるようになったのでしょうか?
・会社の給料が上がった
・無職だったのが就職できた
・生活費を抑える事ができた
・元々貯金できるだけの収入はあるが、浪費癖があったのを克服した。
・宝くじに当たった
等々、さまざまな事柄を想像してしまいます。

何故人は貯金をしたがるのかといえば、それは人生をより豊かに生きるためです。
将来、不測の事態がおこったとしても、貯金があれば対応できます。
しかしそれも「国」があってこそです。
「国」が無くなれば、国が担保していた「お金」の価値もゼロになってしまします。

つまりこの感謝の絵馬に書かれた言葉は、貯金が出来た事に対する感謝と、それを保証してくれる国が存在する事への感謝という二重の意味があるのではないかと思いますが、どうでしょうか?

そして「国」が存在するという事実は、記紀等を引き合いに出すまでもなく、間違いなく神様のお陰であるはずです。

神様に感謝、感謝。
# by kansyanokoe | 2011-12-13 12:51 | 感謝の声
神主とは、高尚な乞食である


タイトルの言葉は、私の祖父(先代宮司)のことばです。

世の中では「神主」というだけで何となく偉い人というイメージを持たれる事が多いと思います。
それはなぜかといえば、「神様」という尊いお方にお仕えしているからです。
我々神主の仕事はその貴い神様に、参拝者のお取り次ぎをすることです。
それを神道用語で「中執り持ち(なかとりもち)」と言います。

つまり参拝者の願い事を叶えるのは神主ではなく神様であり、神主に出来る事は神様との仲を取り持ってあげることだけだということです。
神様に仕えているという一点を除けば、神主のやっている事は乞食のようなものです。
神様に捧げられたお供え物を恵んでもらって生活しているのですから。
それを忘れ、さも自分の力で参拝者を幸福にしてあげたと勘違いしてしまえば本分を見失います。
私の祖父は、それを忘れないように、タイトルのような言葉を遺したのでしょう。

私はそう理解しています。

祖父は私が小学生の時に亡くなったので、実際本人の口から聞いた事はありませんでしたが、できれば直接お聞きして、その意味を教えて頂きたかったなと思います。
# by kansyanokoe | 2011-12-02 15:41 | ひとりごと

< 前のページ   次のページ >